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日本の食文化——寿司を中心に

996论文网日期:2022-02-13 11:30:26点击:492

概  要

日本文化は多種多様な文化を融合し、伝統を重視しながら、新しいものを創るのに得意だと言える。飲食文化は文化においては、重要な地位を占めている。日本の飲食文化を反映できる食べ物の中で、寿司は最も代表的なものである。本稿はこの小さい切り口で、日本飲食の代表的なものである寿司をめぐって、日本飲食文化の特徴を分析し、さらに日本文化の深さと優位性を掲示する。

飲食産業の飛躍的な発展と伴い、飲食文化も大きな変化が起きていた。この変化は日本人の創造力を明らかに表してくると思う。速さを求める今の日本社会では、寿司は依然として、非常に人気がある。小さな寿司は日本飲食文化の多くのメッリトを反映できる。これは中国ないし世界が参考し、学ぶべきものである。

キーワード:日本文化、伝統と革新、日本食文化、寿司

摘 要

日本文化几乎就是世界文化的大熔炉,既重视传统又善于创新。饮食文化也是文化中相当重要的一部分,在反映日本饮食文化的众多食物中最具代表性的便是寿司,本文就是从细处着手,从日本饮食中最具代表性的寿司谈起,逐渐深入的分析日本食文化的特点,进而得出日本博大精深文化的优点。

随着饮食业的快速发展,食文化也发生了质的变化,但是这种变化更加突出的体现了日本人注重创新的精神。在高效率快节奏的日本社会中,寿司仍然受到许多人的青睐,从小小的寿司中,反映出日本饮食文化的许多优点,这是值得中国人乃至世界人今后学习和借鉴的。

关键词:日本文化;传统与创新;日本食文化;寿司


目次

はじめに

1.日本の食文化

1.1日本の食文化の歴史

1.2日本の食文化の特徴

2.日本の代表的な食――寿司

2.1寿司の起源と種類

2.1 寿司の発展

3.寿司から見た日本の食文化

3.1寿司と日本文化の伝統

3.2寿司と日本文化の革新

3.3日本の食文化における寿司の現状

はじめに

経済が発展するにつれて、人々の食べ物に対する要求も高くなっていく。日本料理は栄養が均衡しており、さっぱりした味、外形精緻を特徴とするから、世界の人々に好評を博している。特に、寿司を代表とし、中国、アメリカなど世界に幅広く出店している。また、英語で「sushi」もそのまま用語になっている。寿司は本当に世界の料理の中でもよく知られている。中国を例とし、北京、上海、南京、成都、大連など大きい都市にはほとんど寿司屋がある。本稿


は寿司を切り口に、日本の食文化を見ることしよう。

まず先行研究に基づいて、日本食文化の歴史とその特徴を紹介する。日本食文化は長い歴史を持ち、元の味に対する追求、季節感を重んじること、形と色を重んじること、食器に気を使うことという四つの特徴がある。そして、寿司について詳しく調査した後に、寿司の起源及び発展を説明する。そして、寿司から日本の食文化を見ると、寿司は日本食文化の伝統と革新とは、深く関わっているということがわかる。寿司を知った上で、日本の食文化を理解する。更に、このような研究を通じて、日本文化の特徴に対する理解を深めることができると思う。

1.日本の食文化

1.1日本の食文化の歴史

日本の食文化は長い歴史を持ちながら、また外来の物を吸収し、非常に特色のあるものを形成してきた。ここでは、まず、日本の食文化の由来と変容を述べ、その歴史を把握しよう。

縄文時代には、狩猟?漁猟が中心であり、農耕はまだ発達していなかった。そのために、日本の食文化はまだ形成されなかった。弥生時代になると、稲作の技術を導入し、一定の土地に定着し、食の安定をもたらす稲作農耕に励むようになった。それにより、地方ごとに稲作中心の祭文化や食文化が育ち始めた。稲作文化と共に誕生したのが箸を使う習慣である。それ以前は手食であった。

奈良時代に、食事は朝菜、夕菜のことばがあるように、一日に二回であった。この時期に、精進料理が生まれた。精進料理とは、仏教で僧が戒律五戒で殺生が禁じられ、大乗仏教で肉食も禁止されたために、僧への布施として野菜や豆類、穀類を工夫して調理したベジタリアン料理である。これは消化によい健康食である。それで、大豆などの加工技術(味噌?醤油?漬物?豆腐)が発達した。また、この時に、茶をも導入した。当初、茶は薬用として珍重されていた。酒も出てきた。質のよい清酒ができたという。

平安時代になると、生活が豊かになった。平安の貴族文化は、唐文化を土台にし、京の都の四季の美しさと雅の心を取り入れ、唐文化とは異なった平安独自の和風文化が育ち始めました。食も膳の中に四季感を取り入れ、視覚に訴え


和風文化が育っていきました。この頃に、本膳料理や刺身などが食に見られるようになった。食事も二食から三食になりました。そして、南蛮船によって、いろいろな野菜が持ち込んだ。さつまいも、じゃがいも、はくさい、キャベツ、トマト、にんじん、かぼちゃなどがあるという。

鎌倉時代には、梅干と玄米が武士を支える食となった。江戸時代に入ると、普茶料理が生まれた。これは禅僧が茶礼に赴くときにその茶礼の後にいただく料理である。茶懐石というものが出てくる。千利休がその考案者と言われ、禅と茶の湯を結び付けた。一汁三菜に強肴を基本とし、酒も楽しみ、最後に抹茶をいただくものである。そして、外食産業が発達するようになった。量り売り、屋台、居酒屋、料理屋、そばや、茶屋などが登場した。

明治時代には、古くから抑圧されてきた肉食の解放のために、長い間にタブーだった牛肉が食事の中心となってきた。また洋食文化もこの頃から次第に広まっていった。昭和時代になると、太平洋戦争のために、日本人は飢えと戦わなければならなかったという。米不足を補うために、家庭菜園が奨励され、ありとあらゆるところがかぼちゃ畑に変わっていったそうである。しかし、その後の高度経済成長で、飢えるということがなくなり、日本の食文化は今まで、順調に発展してくるようである。

1.2日本の食文化の特徴

日本の食文化の特徴といえば、主に四つがある。それは素材本来の味に対する追求、季節感を重んじること、形と色を重んじること、食器に気を使うことである。

日本民族は勤勉で、長年よく働いているが、平均寿命は世界一位である。科学研究によると、日本人長寿の秘訣は、科学合理的な食べ物の構成にある。日本人は生のままで食べるのが好きである。素材本来の味を保つと同時に、栄養分を損なわない。それは人体にも有益である。料理とは、食品に加えるべき技術を最小限にし、なるべく自然に近い状態で食べるべきだと日本人は考えている。この思想の代表としては、刺身がある。日本人は、刺身を最も洗練された食べ物であると思ってきた。そして、今世界で日本を代表する食べ物といえば、寿司が挙げられると思う。


そして、日本は四季の変化につれ、それに応じたものを食べる。日本にはその季節の物を食べるのが健康によいという説もある。四季に対する敏感は平安時代に遡ることができる。『古今和歌集』と『新古今和歌集』の中で、四季に関する和歌が出てくる。その後の連歌と俳諧の中では、「季語」というものが形成されるようになる。季語とは季節の語でありる。詩歌の中で、具体的な描写がなくでも、季語だけがその季節の感じをもたらす。これのような思想が飲食に影響を及ぼしたのは凡そ、16世紀後期における千利休の茶道の「茶懐石」という料理からである。季節感を表している食べ物はこの季節においては、最も美味しく、代表的なものである。

日本料理は単なる食べ物ではなくて、目で楽しむものでもある。これは日本料理が色と形を重んじることによるものである。色は新鮮でまるで芸術品のようである。日本料理が形と色を重んじる具体的な例は、「盛り付け」に気を使うところに見られる。中国の料理は大体鍋から出して皿に置く。日本料理ではそれが想像できない。必ず適切な食器を選び、きれいに食べ物を並べ、色を組み合わせる。色はいつも柔らかな感じがする。それに、主の色が季節によって違う。日本料理は春の青、夏の朱、秋の白、冬の玄(黒)と黄色の五色があると言われる。日本料理は葉や花や貝殻をよく飾り、違う造形で並べて、全体的に自然を感じさせる。まるで一つの立体的な絵のようである。

日本料理の食器はさまざまである。形や色も多種多様である。花の形、葉の形、果物の形、船の形、長方形、正方形、丸の形、菱形、対称的な形、不対称的な形などがある。寿司を盛るには扇子の形もある。それに数枚の葉、竹などで盛るのもある。食器の色と模様も料理に応じる。器を選ぶ時に気を使うのは、器の形や大きさ、色と、料理とのバランス。全体の調和を考え、料理が一番きれいに見える器を選ぶ。一般的に全体簡潔の感じを与える。

2.日本の代表的な食――寿司

2.1寿司の起源と種類

寿司は元々保存の為、米の中に、塩漬けの魚を入れて発酵させた食べ物だった。紀元前 4 世紀頃の東南アジアが起源であるが、このころは米を捨てて魚

だけを食べていたようである。この調理法は、中国を経て 8 世紀頃日本に伝わ


ったという。

日本古代の文献『養老令』(718 年)や『正税帳』(729-749 年)にも寿司の記録があり、実際にはその記録より古くからあったと考えられる。篠田統、石毛直道らは、これは伝来したものであり、その日本へのルートとしては、稲作文化とともに中国の長江あたりから九州に伝来したのではないか、とみている。社会思想社が出版した『日本を知る事典』[3]には、以下の記載がある。「鮓は東南アジアの米作民が考えついた川魚の保存法である。タイでは鮓のことを臭い魚(パーハー)と呼ぶのだ。鮓は米と共に東漸した。シナの文献にはじめて顔を出すのは紀元一世紀、後漢の初めで、揚子江地方の名産だと伝える。……宋代を最盛期とし、明代に入って急激に衰え、清代中ごろから全くその姿をけした。今日では広西省辺りの山奥で苗族が細々と作っているだけである。」ここの鮓は寿司のことであり、寿司の最初の文字である。寿司の起源は中国にあると思われる。

寿司の種類と言えば、現在は握り寿司が代表的であるが、弁当などではそれ以外の押し寿司、ちらし寿司、巻き寿司、稲荷寿司、なれ寿司などが多くある。寿司に用いられる魚介類その他は「タネ」、またはそれを逆さにした符牒(職人用の隠語)で「ネタ」と呼ばれる。「タネ」にはたくさんのものがある。アジ、イワシ、カジキ、カツオなどの何十種類の「タネ」もある。

2.1 寿司の発展

2.2.1初期の鮓(寿司)

鮓は本来魚(時には鳥·獣)の漬物である。魚と塩と米飯とを混ぜて強く圧力をかけ、米のデンプン→ブドウ糖→乳酸の過程でできた酸が調味及び防腐の役をする。南北朝になって鰆の鮓が登場するまでは、鯛鮓以外に鎌倉期までの間に海魚の鮓が文献に出てこなかった。鮒鮨は平安朝を通じて毎日天皇以下皇族に献上されていたが、貴族がことに喜んだのはアユ鮓である。昔は作り方が下手だから随分匂ったらしく、京の町を行商していた酔った女が商売物の鮓の籠のなかに反吐をつき、やがてその汚物をこそげとって引き続き商売に歩いた話が『今昔物語集』に見える。

世を経て室町時代ともなれば、飯を漬け込んで食べるまでに三月、半年とは


待ちきれない。そこで、飯がそこそこ酸っぱくなって、酸味が魚に少々うつったら、身がまだ生々しくても食べるようになった。生成れという。それは「生馴れ」の意味だろう。熟成までの時間が少なくなって、鮓が保存食から本当の日本料理になる。

この頃、大阪の近くでは、塩をつけた魚と米を桶に入れて、ふたをし、数日圧したものも現れた。少し酸っぱい匂いがしたら、もう食べられる。これは「押し寿司」という。今の「大阪寿司」のひな形でもある。

時代が下るとともに酒や酒粕、麹を使用したりと、すしの発酵を早めるため様々な方法が用いられ即製化に向かう。そして 1600 年代からは酢を用いた例が散見されるようになる。岡本保孝著『難波江』に、「松本善甫という医者が延宝年間(1673-1680 年)に酢を用いたすしを発明し、それを松本ずしという」とある。鮓に酢が使われ、酢の醸造技術も進んできて、いよいよ発酵を待たずに酢で酸味を得て食する寿司、「早寿司」が誕生することになる。




2.2.2新しい寿司の誕生

「妖術と いう身で握る 鮓の飯」『柳多留』(文政 12 年即ち 1829 年。作句は 1827 年)が、握り寿司の文献的初出である。握り寿司を創案したのは「與兵衛鮓」華屋與兵衛とも、「松の鮨(通称、本来の屋号はいさご鮨)」堺屋松五郎ともいわれる。『守貞謾稿』によれば、それまで江戸の寿司といえば、関西風の押し寿司が大勢をしめたが、握り寿司が誕生すると、たちまち江戸っ子にもてはやされて市中にあふれ、江戸のみならず文政の末には関西にも「江戸鮓」を売る店ができた。天保の末年(1844 年)には稲荷鮓を売り歩く「振り売り」も現れたという。このころには巻き寿司もすでに定着しており、江戸も末期、維新の足音も聞こえてこようかという時代になって、ようやく現代でもポピュラーな寿司が、一気に出揃ったわけである。

明治 30 年(1897 年)代頃から企業化した製氷のおかげで、寿司屋でも氷が 手に入りやすくなり、明治の末あたりからは電気冷蔵庫を備える店も出てくる。近海漁業の漁法や流通の進歩もあって、生鮮魚介を扱う環境が格段によくなっ た。江戸前握り寿司では、これまで酢にしたり醤油漬けにしたり、あるいは火 を通したりしていた素材も、生のまま扱うことがしだいに多くなっていく。種 類も増え、大きかった握りもしだいに小さくなり、現代の握り寿司と近い形へ 変化しはじめた時代である。大正 12 年(1923 年)の関東大震災により壊滅状 態に陥った東京から寿司職人が離散し、江戸前寿司が日本全国に広まったとも


言われる。



1.2.3 戦後の寿司

第二次世界大戦直後、厳しい食料統制のさなか、昭和 22 年(1947 年)飲食営業緊急措置令が施行され、寿司店は表立って営業できなくなった。東京では寿司店の組合の有志が交渉に立ちあがり、1 合の米と握り寿司 10 個(巻き寿司なら 4 本)とを交換する委託加工として、正式に営業を認めさせることができた。関西をはじめ全国でこれにならったため、寿司店といえば江戸前寿司一色となってしまった。

戦後の高度成長期になると、衛生上の理由から屋台店は廃止され、廉価な店もあるにはあるものの、寿司屋は高級な料理屋の部類に落ち着いた。サラリーマンを題材としたマンガでは、夜遅くまで外で飲み歩く亭主が、妻の機嫌を取るために寿司の折り詰めを買って帰るという姿が描かれる事もしばしばあった。1958 年に大阪で回転寿司店「廻る元禄ずし」が開店し、廉価な持ち帰り寿司店「京樽」や「小僧ずし」も開業。1980 年頃にはすっかり日本各地に普及するに至り、寿司屋は家族で訪れるような庶民性も取り戻していった。

既に明治 43 年(1910 年)華屋與兵衛の子孫、小泉清三郎著『家庭鮓のつけかた』には、ハム(またはコールドミート)を使ってコショウをふった巻き寿司があり、江戸前寿司(早寿司)は様々な材料を受け入れやすい素地があった。 1970 年代アメリカ西海岸を中心に、寿司は一応ブームとなり、そのなかで生まれた「カリフォルニアロール」は大いにヒットして日本にも逆輸入された。 1975 年『すし技術教科書』の「新しいすしダネとすし」には、キャビアやロブスター、納豆、じゅんさいなど、100 種類にもなる新しい寿司ダネが紹介されている。現代の寿司店では、ありとあらゆる食材が寿司として提供される一方、古典的な材料?手法を守る店も人気があり、むしろ高級?高価である。そして、寿司は主に外食の料理となり、家庭でつくられる寿司は減少している。

3.寿司から見た日本の食文化

3.1寿司と日本文化の伝統

3.1.1寿司と自然観


寿司は古来から日本人に親しまれ、伝統の食文化でもあります。寿司の中に、自然観、美意識などの日本文化の伝統的なものが見られる。

日本の地理的特性から、海産物が豊富である。日本料理の主な原料は今でも魚である。寿司も最初は魚の保存方法であった。日本料理の特徴は本来「五味、五色、五法の料理」という。その主旨は食べ物本来の味と形を保ち、その風味を味わう。「五味」は甘、酸、苦、辛、塩辛さ。「五色」は白、黄、赤、青、黒。

「五法」は生、煮る、炙る、油で揚げる、蒸す。生も五法の一つであり、寿司にも用いられる。生には、自然、新鮮の直接的意味がある。また、握り寿司を食べる時の「10秒ルール」も寿司の新鮮度と素材本来の味を保つためである。その外、材料と飾り物の野菜もできるだけその本来の味と色を保ち、自然の美を体現する。

外国人は時々「日本料理は目で味わう料理である。」と言う。確かにそうである。季節の材料を選ぶのはともかく、違う色を通じてその季節の特徴を伝える。春の花、秋の実り、夏の緑、冬の銀白、これも日本人が季節に対する感覚である。また、食器も料理と季節によって色、形と材質も違う。このような季節に対する敏感さ、自然に対する細かい観察から日本人は素朴で、自然の真情を追求するのが分かる。日本料理の特徴——素材本来の味に対しての追求にも、季節感を重んじるのにも、形と色に気を使うのにも日本人が自然を愛し、尊敬する態度が理解できる。このような寿司文化から日本文化における自然に服従し、自然を利用し、自然と共に生きる自然観が窺える。

3.1.2寿司と伝統的な美意識

寿司は昔より今の方が小さくなり、材料の種類も多くなった。握り寿司は一口でも食べられる。でも、その一つの寿司には、形も色も注意しなければならないところがある。その飾り物にも全体の調和に注意しなくてはならない。寿司を見ると、まるでひとつの立体絵を鑑賞するようだ。日本は島国だから、資源や土地が有限であり、日本人はいつも各種の資源を大切にしている。だから、日本人は小さくて精巧なものを好く。日本の屋敷の庭山や湖のように、寿司も花、葉などの形に作り、扇子、船など形の器に置き、まるで一つの縮約された風物のように見える。ただの寿司ではあるが、作る人は自然の景色と季節の雰


囲気を食べる人に与える。また、すしを作ることによって、作る人の真心も感じられる。

寿司は季節により、その季節の最も新鮮な材料を選び、素材本来の味を追求 し、調味料を適当に加えて作った料理である。江戸前の握り寿司を例とし、そ の真骨頂はタネの新鮮さだけでなく、うまみを引き出し、酢めしに合うよう隠 された仕事である。寿司の新鮮度とは別に、全て生で食べるわけではない。例 えば、ヒラメは生で食べるより、昆布と塩でしめて食べる方がヒラメの持つ甘 味が引き立てられる。マグロもさっと醤油漬けにすると、マグロの香りが生き てくる。この点も職人にとって重要である。握り寿司は職人が客の前で、客の ために独特の寿司を握る感じを与える。これにも作った人の真心が感じられる。このように、日本人は精巧の「表」、深い意味がある「裏」の美意識を追求す る。寿司には、日本文化の伝統的な美意識を表れてくるだろう。

3.2寿司と日本文化の革新

寿司はもともと中国から日本へ伝わったものである。今の中国人は寿司を食べる時、きっとそれはもともと中国のものだとは知らないだろう。現在でも、中国の湖南、貴州などでは、鮓のようなものがあるが、ただそれは鮓とは言わず、「酸魚」などと言う。元々同じものが、日本の寿司は今世界でも有名になったのに対して、中国の“鮓”はもう無くなったも当然である。それはなぜだろう。

寿司には、日本文化の革新精神が含まれる。まず日本人は中国から、鮓を受け入れてから、材料を多様にし、自分の文化と習慣にしたがって改良する。例えば、ほかの伝統料理と同じように、寿司は色、形、食器に気を使い、季節感を重んじ、素材本来の味を追求する。また、経済の発展につれ、人の生活リズムが速くなる。寿司が世界に広まり、西洋などの生活方式や好きな味に合わせるように、色々な味の寿司が次々にでき、回転寿司も人気があるようになった。日本は外来文化を引き入れる時、全般的に受け入れるのではなく、そのエッセンスを受け入れる。このように、外来文化に対する受容は自国文化に結び合わせて改良する「日本化」の過程であり、文化の革新でもある。これで、外来文化を引き入れると同時に日本伝統文化も維持する。また、現在でも、寿司の革


新も続けている。このような革新精神があってからこそ、日本の食文化は長くその特色を保ちつつ、世界にも広く知られるようになったのである。

3.3日本の食文化における寿司の現状

寿司の現状といえば、世界への「sushi」という言葉で、表すことができると思う。ロサンゼルスで火のついた寿司ブームは、その後日本の経済進出と

相まって、アメリカを中心とする世界各地に急速に広まった。1983 年には、 ニューヨークの寿司店「初花(はつはな)」が、ニューヨーク?タイムス紙のレストラン評で最高の四つ星を獲得した。現在、寿司はテリヤキ、天ぷらと並ぶ日本食を代表する料理になっており、日本国外の日本食レストランの多くでは寿司がメニューに含まれている。特に北米では人気があり、大都市では勿論、地方都市のスーパーマーケットにさえ寿司が売られていることが珍しくない。これは世界では、日本食文化の大きな影響をも証明できるだろう。寿司は日

本食文化の代表的なものなると共に、日本食文化のより一層の発展を促進していくに違いないと考えている。

おわりに

本稿は日本食文化の歴史を辿った後に、日本食文化の特徴————素材本来の味に対する追求、季節感を重んじること、形と色を重んじること、食器に気を使うことを紹介した。それから、寿司の起源と発展を説明した。寿司は日本文化の伝統と革新を十分に表してくるのである。素材本来の味と季節感に対する敏感さなどから、日本文化における自然に服従し、自然を利用し、自然と共に生きる自然観が窺えた。また、寿司の作り方においても、職人の心構えから、日本人の小さく精巧な「表」、深い意味がある「裏」の美意識を追求することが分かった。日本文化の伝統的な美意識も寿司を通じて、表れてくるだろう。本論文は範囲を小さくし、日本料理の代表——寿司を新たな視点でとらえ、日本食文化を論じたものである。また、寿司には、日本の外来文化に対する合理的な革新も含まれている。本論文を通じて、日本の寿司を知った上で、日本の食文化を理解しようとした。これは日本文化の特徴の理解にも役立つものである。


参考文献


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年.

[6]唐莉雅.《日本的寿司》[j],民俗研究,2005 年,第 2 期.

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